M・Sです。
今回はかつて、伊達政宗の片腕として仕えた、伊達成実(独眼竜政宗では三浦友和さんが演じました)と片倉小十郎景綱(独眼竜政宗では西郷輝彦さんが演じていました)が城主を勤めた大森城をご紹介します。
先日、郡山でキャッシュフローコーチの先輩と交流を行いました。
郡山のお店は知らないのでキャッシュフローコーチの先輩の案内で、カウンターのみの小さな居酒屋に連れて行っていただきました。
お店では、まったく知らない方と福島の戦国時代勢力図について話が盛り上がりました。(特に俳優さんを使いながらの説明がヒットしたらしいです)
詳しく大森城を調べると
いつ頃から存在したのかはよくわからないとのこと。
ただ、鎌倉時代から室町時代の板碑が数多く残っているので、この一帯を支配していたのは二階堂氏だと言われているそうです。
史料で明らかになっているのは、戦国時代からで、伊達稙宗(伊達政宗の曾祖父)の三男伊達実元(独眼竜政宗では竜雷太さんが演じていました)が、伊達氏の内紛である天文の乱の際、実元は稙宗方につき、大森城は稙宗方の重要拠点の一つとなりました。しかし、天文17年(1548年)に乱が終息し、稙宗の隠居と実元の兄・晴宗(独眼竜政宗では金子信雄さんが演じていました)の家督相続が決まったそうです。兄が桑折西山城から出羽米沢城へ移った後、兄と和解した実元は大森城主にとどまり、信夫郡南部の支配権を与えられたそうです。その後、嫡男の成実に譲り、天正14年(1586年)に政宗が二本松城を落城させると、成実は二本松城を与えられ、大森城は片倉小十郎景綱に与えられました。
その後、豊臣秀吉の奥州仕置きによって信夫郡が伊達氏から没収され蒲生氏郷に与えられると、大森城主となった氏郷の客将・木村吉清は、杉妻城を改修して福島城と名を変え、そこに居城を移り、大森城は廃城なったそうです。
たまに、伊達政宗の居城でしたと話を耳にすることがありますが、居城ではありませんでした。
現在は、山頂部は大森城山公園として管理されています。約700本の桜が植えられており、毎年春にはさくら祭りが開催され桜の名所として多くの方が訪れます。
また、模擬櫓が建てられています。ぜひ歴史に興味のある方は独眼竜政宗を見てから足を運んでみてください。見方が変わると思います。
(by M・S)